みなさんの身の回りにはどのくらい綿素材のものがありますか?服や鞄、小物など少し気にして見てみると実はたくさんの綿製品(素材に綿が含まれている製品)があるのではないでしょうか。そんな身近な綿ですが、そもそも綿って、糸って、布って、どうやって出来ているかご存知ですか?今日は綿のお話とラオスの綿が布になるまでの工程をご紹介します。
世界の綿事情
衣服や寝具など私たちの身の回りのものに使われている身近な繊維、綿。原産はインドと言われており、インド、中国、アメリカが主要生産国です(2022年現在)。実は世界で100カ国以上もの国が綿を生産しており、その綿の種類もさまざま。日々使うタオルから布団の中綿、高級ドレスに至るまであらゆる姿に変身できてしまうのが綿の特徴です。なんと多才な繊維なのでしょう。ちなみに日本のお話をすると、今の日本は綿の自給率がほぼ0に近いとされていますが、昔々江戸時代には綿は100%国産で手紡ぎだったという記録が残っています。その当時の日本の綿畑、この目で見てみたかったですねぇ。
ラオスの綿
ラオスでも生産量は微々たるものですが、国産の綿を収穫することができます。ラオスの綿は雨季が始まる6月に種植えをし、乾季に入る11月〜12月にかけて収穫をする一期作。栽培は特に北部が多く、白や茶色、薄茶色の綿を見かけます。ラオスでは輸出用には生産しておらず、自分たちが個人で使う分もしくは街で販売する織り物の分だけ庭で育てている方がほとんど。綿の農家さんというよりは、織り子さんや染め子さんが庭で綿を育てています。農薬や化学薬品などは使わずありのままの自然の中で育てているため、年によって収穫量が変わるのですが、「自然のことなので仕方がない」と割り切る(自然に任せる、これがあるべき姿というのでしょうか)、そんなスタイルでラオスの綿は栽培されています。今回は私たちがお世話になっている織り子さんの綿をご紹介します。
綿から布ができるまで ①綿繰り
綿を収穫すると、この時点では種が入ったままの状態なんですね。まずはこの種を取り除く工程、「綿繰り(わたくり)」を行います。木製の綿繰り機は織り子さんの旦那さんのお手製。ラオスでは織りは女性のお仕事ですが、その機材を作るのは男性のお仕事です。この隙間部分に綿を入れ込み、ハンドルを前方へ回すと種が手前に、綿が奥に落ちて、種と綿が分離されます。一気にはできないので、1〜2個ずつ丁寧に回していくのがポイント。
綿から布ができるまで ②綿打ち
綿から種を取り除いたら、次は「綿打ち(わたうち)」と呼ばれる工程です。これは綿の繊維をほぐしてやわらかくする、さらに綿に付いている殻(綿の葉部分が枯れたもの)などの小さなゴミを取り除くための作業です。綿弓という綿打ち専用の弓を使って綿に向けて弦を弾きます。これを何度も繰り返すことで綿がふわふわになり、ゴミも取れて綺麗に。綿打ちを終えると、最後に綿弓で取り除けなかったゴミを手で取り除きます。
綿から布ができるまで ③綿筒づくり
ふわふわになった綿はこのまますぐに糸になるわけではありません。糸を紡ぐ前の準備として「綿筒(じんき)」づくりの工程があります。言葉どおり綿で筒を作ります(ここでは「じんき」と呼びますが日本では地域によって名前が異なるそうですよ)。綿を平らに伸ばし、木の棒にくるくると巻き付けて筒状に。ただくるくると巻くだけの一見簡単な作業ですが、このあとの糸紡ぎに影響する大事な工程です。きつすぎず、ゆるすぎず巻き、何本も綿筒をつくっていきます。
綿から布ができるまで ④糸紡ぎ
いよいよ糸紡ぎです。先ほど作った綿筒を左手に、右手は糸車に。右手で糸車を回しながら左手は手前にゆっくり引いていきます。この左手を引くことによって撚りがかかって糸が出来ていきます。左手の引く力と右手の回すスピードがとても重要で、あまり速すぎたり力が強すぎたりすると糸が途中でプツッと切れてしまいます。逆にゆっくりすぎると糸になりません。均一で綺麗な糸に仕上げるには「ちょうどいい塩梅」が大切です。
綿から布ができるまで ⑤織り
できた糸は織り機にセットして織っていきます。正確に言うと糸を織り機にセットするためのさらに細かな下準備もあるのですが、それはまた次回ゆっくりと織りのお話のときに。シャトルを経糸の間にくぐらせて織っていきます。柄によって織りの技法が異なりますが、柄のないシンプルなものは織り子さん曰く簡単ですぐに織り終わるそうです。ちなみに色のついたものを織りたい場合は、織り機に糸をセットする前の段階で染色を行います。
こうして綿から布が出来上がりました。初めて見たときは「糸を紡ぐってこういうことかぁ!」ととても感動したのを覚えています。普段何気なく手にしている綿の製品。近年では機械で作られるものがほとんどですが、昔の人々はこんなにも手間ひまかけて作っていたんですね。そして今もラオスに残るこの文化。この手仕事を一人でも多くの人に届けることで、大切に繋いでいきたいと思っています。